大津中2いじめ自殺裁判の検証〜いじめと自殺〜(大津地裁から大阪高裁へ)

1 民事裁判における「いじめ」と「自殺」との因果関係の認定

 民法上、不法行為による損害賠償責任を追及する場合、不法行為と損害との間に因果関係が必要とされています。

 そして、この因果関係が認められる損害とは、その行為から通常発生するような「通常損害」と、特殊な「特別損害」に分けられます。

 特別損害として因果関係が認められるためには、その行為からそのような損害が発生することを予見できたこと(=予見可能性)が求められることになります。

 

 この考えをもとに、これまでいじめと自殺との因果関係を判断してきた裁判では、「いじめがあった」とは認めても、いじめで自殺するというのは通常発生するような「通常損害」ではないという前提に立ち、「特別損害」として予見可能性を求めてきました。

 しかし、自殺に追い込まれた多くの被害者は、周囲に相談できないまま、逃げ道がなく自殺しています。そのような被害者は、周囲から見れば、突然自殺したかのように見えます。

 そのため、「まさか自殺までするとは思わなかった」という加害者らの認識に基づき、自殺することまでは予見できなかったとして、因果関係を否定されてきたのです。

 

 


2 大津市いじめ自殺事件第1審判決の評価(大津地裁)

 大津いじめ自殺事件の1審(大津地裁)の判断では、本件のようないじめであれば、通常自殺することがありうるとして、「通常損害」であることを前提とし、因果関係を認めました。

 

 「通常損害」として認めた結果、加害者らの「予見可能性」は問題とならなかったのです。

 「特別損害」であることを前提に「予見可能性」を認めた裁判例はこれまでにもありましたが、いじめによる自殺を「通常損害」に含んだ事例は初めてです。

 その点において、この判決は画期的なものと評価できます。

 いじめの内容と被害者の心理状態を緻密に認定できる証拠があったからこそ、このような踏み込んだ判断ができたものと推察されます。

 

 この判決をもとにすれば、いじめの内容や程度によっては、加害者の予見可能性を問題とすることなく、「通常損害」として、当然に因果関係が認められることになり、被害者救済には大きく資するものと思われます。

 

(当時の報道)

 大津中2自殺 いじめとの因果関係認定 元同級生他2人に賠償命じる(毎日新聞)

大津いじめ訴訟判決を読み解く「被害者救済にかじを切る判断」(産経新聞)


3 大津地裁の原審から大阪高裁の控訴審へ(判決の評価)

(2020年3月掲載)

 2020年2月27日、大阪高等裁判所において、大津中2いじめ自殺裁判の第2審判決が下されました。

 当初の、報道を見ると、複数のニュースで、賠償額が10分の1に減額されたというタイトルのもと、大々的に報道されています。

 

 しかし、これ自体はミスリーディングです。

 大阪高裁は、確かに家庭の事情をもとに過失相殺を認めてはいます。ただ、割合としては4割です。

 あたかも9割過失相殺されたような印象を与えるのは、不正確な印象操作になりかねません。

 

 1審と比較して賠償金が大幅に減額した(3750万円→400万円)理由の1つとして、大津市から相当額の和解金を受領したという事情があるようです。

 加害責任は大津市と加害者らが連帯して責任を負うことになりますので、大津市が支払った和解金が加害者に対する裁判でも差し引かれるのは、法律上当然のことです。

 この点は、批評の前提として、正確に把握する必要があるでしょう。

 実際にご遺族は、「『いじめは許されない』と後押しする司法判断。金額よりも、因果関係などを改めて認めた点が重要だ。」と一定の評価をするコメントもされていると報道されています。

 

 その上で、4割の過失相殺をどう捉えるかについては、判決文を読んだ上での精査が必要でしょう。「いじめが起きたとき家庭環境の問題を調べようとする動きが強まるのではないか」との代理人弁護士のコメントも報道されていました。

 

(2020年7月12日追記)

 上記大阪高等裁判所の判決(令和2年2月27日)について、その後、6月26日付で、TKCローライブラリーに判例評釈が公表されました。

 

 本評釈の詳細はリンクからご確認ください。

 

 まず、いじめについてですが、高裁判決は、「行為態様や頻度に照らし」「社会的相当性を超えた悪質・陰湿かつ執拗ないじめ行為」に当たるとしています。

 

 その上で、「亡Aの自殺の主たる原因は、Yらの本件各いじめ行為及びそこから形成された亡Aとの関係性」にあり、事実的因果関係が認められています。そして、「本件各いじめ行為は、行われた期間が1ヶ月程度と比較的短期間ではあるものの、亡Aを負傷させるような暴力行為や極めて陰湿・悪質な嫌がらせ行為を含むものである上、上記の間、頻回にわたり行われたものであり、その態様、頻度等は、亡Aをして自殺者に共通の心理とされる孤立感、無価値感を抱かせるとともに、Yらとの関係から離脱することが容易ではないとの無力感、閉塞感を抱かせる上で十分なほどに悪質・陰湿かつ執拗なものであった」。「本件各いじめ行為の当時、何ら意外なことではなく、むしろ、社会通念に照らしても、一般的にあり得ることというべきであり、亡Aの自殺に係る損害は、本件各いじめ行為により通常生ずべき損害に当たるものということができ、Yらの本件各いじめ行為と亡Aの自殺に係る損害との間には相当因果関係あるものと認められる」としています。

 上述した通り、あくまでも、いじめ行為の態様や程度を前提としてはいますが、大津地裁の判決と同様、通常損害として自殺による損害についての因果関係を認めています。「通常損害」として認めた点においては、高裁レベルでは初の判決です。

 

 

 他方、過失相殺については、まず判決が前提とした事情として、下記の事実が指摘されています。

①父母は離婚していたが、監護親が自殺の3週間ほど前に、無断外泊等を咎めるために、顔や頭を叩く、体を蹴る、掃除用ぐの柄で叩く等の体罰を与えていた。

②自殺の2週間ほど前、監護親が電話相談した相談機関から軽度の発達障害の可能性を指摘され、同日被害児童にその可能性を告知したところ、苛立った様子で家をで、近隣マンションのソファーで一夜を過ごした。

③②と同じ日に、被害児童が祖父母の財布からお金を抜き取っていたことが判明し、双方の祖母から注意を受けた。ただし、父方の祖母は、我慢できなくなったら連絡をしてほしい、その時には一緒に暗い山の中でもどこでも行くと伝えられていた。

 

 その上で、「亡Aには、自らの意思で自殺を選択したものである上、祖父母宅からの金銭窃取という違法行為により自らを逃げ場のない状態に追い込んだ点で、Xらには、家庭環境を適切に整えることができず、亡Aを精神的に支えられなかった点で、特にX1(監護親)においては、体罰や病気の可能性の不用意な告知により亡Aの反発心や精神的動揺を招くなど、同居する監護親として期待される役割を適切に果たし得なかった点で、過失相殺の規定の適用及び類推適用を基礎付ける事情がある」として、4割の過失相殺を認めているようです。

 

 これについては、上記判例評釈において概要以下の通り、指摘されています。妥当性には大いに疑問があると思います。

 そして、このような家庭環境や被害児童を取り巻く事情が、今後の訴訟においても積極的に主張立証されていくことには、大きな懸念があると言わざるを得ないでしょう。

 

❶現代社会の認識として、自殺は「個人の自由な意思や選択の結果」であると言えるのか、むしろ「自殺は、その多くが追い込まれた末の死」であること

❷発達障害の可能性について、「仮に亡Aがその脆弱性のために何らかの精神疾患にり患していて、これがその自殺に関与しているとした場合には、そのような素因自体が過失相殺の類推適用を基礎付ける事情」になると論じているが、発達障害がリスクとなる社会のあり方を棚上げし、そのリスクを本人に負担させることは妥当ではないこと

❸「両親が円満に過ごす家庭環境は、学校でのいじめによって傷ついた心を癒す上で、非常に重要な役割を果たし得たはず」とし、「家庭環境を適切に整えることができなかった」としているが、夫婦には様々な事情があり、離婚や別居など法的に何ら非難されるべき選択でないとすれば、非難すべき点はない。裁判所が理想としている家庭像は現実から乖離している可能性があること、

❹親の体罰について、「親という逃げ場をなくすよういんの一つとなりうる」と指摘しているが、日常的な暴力が認定されているわけではなく、悪質・陰湿かつ執拗ないじめに対して、「安易な体罰」としてこれを考慮することが「損害の公平な分担」に沿うか疑問があること、

❺障害の可能性の告知のタイミングについて、判断は非常に難しく、確立した知見もなく、その旨が相談機関からも伝えられていないにもかかわらず、これを考慮するのは妥当でないこと、

❻被害児童による祖父母宅での金品窃取について、「自らの違法行為により自らを逃げ場のない状態に追い込んだという点で落ち度がある」としているが、そこが「逃げ場」であることに気付けないほど、Yらに追い詰められた末の悲劇なのであって、亡Aが「逃げ場のない状態」に追い込まれたとの認識や評価は妥当でないこと

などの問題があると言わざるをえません。