
北海道ニセコ町が、町として、裁判に提出するための署名を集めていることが話題になっています。
この嘆願署名は町のサイトから見ることができます。
「ニセコ町水道水源を守る嘆願署名」のお願い(2025年8月21日付)
さて、ニセコ町は、平成25年に正規の売買契約に基づいて取得した土地(水道水源保護地域)について、過去の所有者(今から17年前の4社前の所有者)から、第三者が無断で売買した土地であるとの主張から、所有権の返還を求められ、現在裁判で争っています。そこで、水道水源を守るため、ご賛同頂ける皆さんの民意を、嘆願署名という形で収集し、札幌高等裁判所裁判官へお示したいと考えております。
( 署名締切:2025年8月25日)
地方自治体が自ら住民へ署名を募る活動自体、珍しいでしょう。
この発端は、ニセコ町の水源地の土地返還請求訴訟とその敗訴にあります。
それが有効かどうかはともかく、町としてはできることは全てやっておくという姿勢でしょうか。「町民の命や暮らしを守るための水源」として世論を形成したいようです。
まずは報道や町が公開している情報から、事案の経緯と概要を確認しましょう。
問題となっている土地は、羊蹄山麓にある約16万3千平方メートルで、町民約4,000人(人口の約8割)に水を供給する極めて重要な水源保護地域とされています。
こ の土地は、2008年頃まで山梨県のA社(元所有者)が所有していました。しかし、A社の主張によると「第三者が無断で売却」し、その後3社を経由して2013年にニセコ町が取得しました。この取引についてA社は一切知らず、関与していないとしています。
この土地について、2023年3月ころ、A社が、第三者による無効な売買あったため土地を返せと主張して、ニセコ町を提訴しました。そして、2024年9月12日、札幌地裁岩内支部はA社の訴えを認め、ニセコ町に土地の所有権移転登記を命じる判決を下し、一審でニセコ町が敗訴となりました。その後、ニセコ町は控訴し、札幌高等裁判所での審理中です。
ニセコ町としては、敗訴した場合、土地が元所有者から第三者や海外資本に転売され、不適切な開発や水源が守れなくなるリスクを懸念しています。
このこと自体はごもっともなところで、心情的にはニセコ町が保護されないかと思うところです。
ただ、A社の主張を元にすれば、A社も勝手に不動産を売却されていた被害者で、何の非もなかった可能性があります。それでもなおA社の犠牲のもとに、ニセコ町を守るべきか、これは慎重に判断する必要があるでしょう。
ここで大きく関わるのが、「不動産登記には公信力がない」と言われている大原則です。
そもそも、この裁判では、原告は、所有権の真正な登記名義の回復請求をしています。すなわち、書類等が偽造され、土地が第三者に無断で売却されたため、元所有者が真実の登記名義を回復したいと請求しているわけです。
元の所有者としては、売買契約が書類等の偽造によってなされたものであることを主張立証すればこれが認められる可能性があります。これに対して、ニセコ町は、たとえ自分が取引をした前の所有者に不動産の登記名義があったとしても、それを信じて取引をしたというだけでは保護されません。登記を信じて取引をしたとしても真の所有者に優先して保護はしないというのが「不動産登記には公信力がない」という意味です。なお、動産の場合、前の所有者の「占有」を信じて取引をしたものを真の所有者に優先して保護する即時取得なる制度があることと対照的です。
そのため、ニセコ町としては、登記があることを主張しても法的には無意味であり、それを超えて、①民法94条2項類推適用による保護や②時効による不動産所有権の取得を主張立証していかなければいけません。
①については、不動産登記には公信力がないことの反面、これまで判例が認めてきた民法94条2項類推というアクロバティックな理論で保護される場合があります。ただし、これによって保護される場面というのはかなり限られています。司法試験等の勉強ではかなりの時間と労力を割いて勉強するこの論法ですが、実務では主張できる場面も相当限られている上、認められた事案はほとんどありません。本件でもこの主張がなされたと推測はされますが、これが認められるためには、ニセコ町がどうこうだけではなく、本人にあたる元所有者の帰責性、すなわち、虚偽外観作出への関与を主張立証しなければいけません。この部分が事案的に認められなければニセコ町としてはなかなかどうしようもないのですが、本件の場合、その時期も相当古い上、ニセコ町が直接関わった取引でもないため、材料をほとんど持っていないと推測されます。それだけに厳しい事案なのでしょう。嘆願署名というのは最後の手段ですが、正直、法律の安定的な適用を指向する裁判官の判断に影響を及ぼす可能性は低いでしょう。ニセコ町も弁護士等の助言でそれはわかっているでしょうから、和解の可能性等も踏まえての判断なのかもしれません。
他方、②については認められる可能性があれば非常に強力で決定的な主張となりますが、本件訴訟でこちらが争点となった形跡がないようですので、時効期間が満了せずに時効が更新されたとみるのが合理的でしょう。
このように法的な観点から見ると、ニセコ町にとっては厳しい状況が続くでしょうが、水源を守る形で、何らかいい形で和解等で決着することを祈るばかりです。