
私は、兵庫県弁護士会の中で、子どもが関わるあらゆる問題を扱う「子どもの権利委員会」に所属し、副委員長を務めています。
「子ども」と一口に言っても、その内容は多様です。大人で言えば、刑事弁護や消費者、高齢者問題など細分化されるような分野を総まとめて扱うところだからです。
その関係で、私は一般的な弁護士に比べ、少年事件、虐待問題、未成年後見、無戸籍問題、そして学校問題などを扱う機会が多くあります。
特に、弁護士会が主催している「子どもの悩み事相談」では、いじめなどの学校問題が多く寄せられます。
今回は、この学校問題について、弁護士として関わる際の難しさと大切にすべポイントを言語化して、ご説明したいと思います。
1 学校問題の難しさと相談を受ける場合のポイント
まず、1つ目は保護者の意向と子どもの真意とのギャップです。
一般の方からすれば未だに弁護士に相談するというのはなかなかにハードルが高いことです。
(これ自体は良くないことですが、)学校問題について、本人や保護者の方が弁護士に相談に来られるというのは、どうしてもタイミングが遅くなってしまいます。
そのため、すでに子ども本人は相当精神的に辛い状況に追い込まれていますし、保護者も対応に苦慮して八方塞がりになっていることが多いです。
そして、ここまでいくと、いじめなどの加害者が同じ生徒である場合も、保護者の想いは学校へ向きがちです。
つまり、学校への不信感に覆われており、時に学校への怒りや恨みが中心になっていることがあります。
当初は、当事者は子どもでしたが、子どもの気持ちを抱えて事後対応をし続け、疲弊していく中で、
もはや親自身も当事者となってしまい、直接的にネガティブな感情を学校に抱くことになるからです。
これに対して、子どもの気持ち、特に真意がどこにあるのかは注意が必要です。
子どもはえてして、ただただ学校に通えることを望んでいる場合があるからです。
このようなズレが生じることは状況からすればやむをえないことだと思います。
周囲が、このズレがあるかどうかをしっかり見極めつつ、保護者の意向もききつつ、あくまで子ども本人の意向を尊重して対応していく必要があります。
次に、2つ目は、法的な正当性と現実的な対応策とのギャップです。
学校問題についての法律相談を受けた時、弁護士として、その法的妥当性を考えると、その多くに学校の対応に問題が認められます。
ただ、学校の対応に法的な問題があるとしても、一般的な事件のように、それを通知して、裁判を起こせばよいというものではありません。
学校相手に裁判をするというのはなかなかに大変なことです。特にその学校に在学しながら学校を訴えるというのは、やはり現実的なものではありません。もちろん法律的には何の問題はありませんが、子どもが閉鎖的な学校に通い続けることを考えると、あまりにもしんどい状況になりますので、方法として良い選択にはならないでしょう。
そのため、現実的にどのような対策をとることが、子どもの意向に一番繋げられるかを考えなければいけません。これは法的な妥当性のみでは決して解決できるものではありません。
学校という組織を理解し、その対応を予測しつつ、解決策につなげる提案をしていく必要があります。
ここがなかなかに難しいところですが、常に意識する必要があります。
2 本人の真意と経験としてのケア
先ほど述べた通り、保護者の意向と子どもの真意との間には徐々にずれが生じがちです。
子どもは特にこれ以上問題が大きく望んでおらず、安心して学校に行ける状況を希望します。転学できる状況であれば、転学を望むでしょう。これは決して「逃げ」ではありませんし、もし「いじめ」が相手なら「逃げ」ていいのです。
ただ、このような本人の真意には沿いつつ現実的な対応策をとるとしても、忘れてはいけないことがあるのではないかと思います。
それは、子どもに対して、身近な大人、まずは保護者が「あなたは間違っていない!」とはっきりした言葉で伝えてあげることです。
保護者も事後対応に疲弊し、自分の考えが正しいのか間違っているのかもわからなくなってしまいがちです。それ自体は仕方がないのですが、このような状況は子どもにも伝わり、自分が悪いのではないか、またもしかしたら、自分のせいで親を苦しめているのではないかと自分を責めてしまうことがあります。
先ほど述べた通り、あくまでも本人の意向に沿った現実的な解決策を志向する必要があります。
ただ、このような状況で、結論をうやむやにしたまま、本人の意向に沿った現実的な解決策をとった場合、
本人にとって、この経験がその後の成長にどう影響するのか考えなくてはいけません。
子ども本人にとっては、自分の考えはもちろん、場合によっては自分の存在を否定されたかのように受け止めざるをえない体験になってしまいます。この体験がその後に何らかの形で、影を落としてしまうのではないだろうかと想っています。
それを少しでも解消しておくためには、まずは、最も身近な大人である保護者、親が「あなたは間違っていない!」ということを、はっきりと言葉にして伝えてあげるべきだと考えています。
そして、すでに疲弊し、何が正しいのかわからなくなった保護者や子どもに対して、その正当性を担保してあげるために、
法律や弁護士がお役に立つのではないかと想っています。