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法律の「正しい」勉強〜法学は数学〜

※ 法曹志望者のため、YouTubeで民法の本質的理解につなげる動画「民法の地図」を始めました。


1 法律の「正しい」勉強 〜法学は数学〜

 私は、受験終了後、出身校である同志社ロースクールや某司法試験予備校で、ゼミや講座を担当し、受験生を教えていました。それから徐々に数は減りましたが、今もロースクール生の起案した法律文書を添削したり、司法試験の過去問を添削したり、スポット的にゼミを担当したりしています。

 その経験やこれまでに作ってきたレジュメなどを生かして、受験生にお役に立てるような情報も発信していきたいと思い、ブログを書き始めました。

 

 私自身、法学部に入学してから長年司法試験を目指して法律の勉強をしてきましたが、法律の意味合いと「正しい」勉強方法に気づいたのはロースクールに入ってからでした。

 

 きっかけは、当時全面的に改正された会社法の条文そのものを素読したことでした。

 

 もともと大学時代は、不真面目な面がでて、重いと言う安易な理由で六法も持ち歩かず、条文そのものはほとんど読まないまま、「択一六法」などの予備校本に書いている条文の「趣旨」と論証のみをひたすら暗記していました。

 

 それでも旧司法試験の択一試験ではいい結果が出ていたため、特に勉強方法に疑問を持つことはありませんでした。

 

 ところが、改正された会社法の条文を読んだ時、大事なことはほとんどすべて条文に書いているということに気づきました。その時、いつの間にか勉強の対象が、法律(=条文)そのものではなく、予備校本になっていたことを思いしりました。

 

 「条文にどう書いているのか」ということがいかに大切か、その意味合いに気づいてからは、売買契約や所有権のような一見基本的な条文で、内容も理解しているつもりになっているようなものでも、必ず条文の文言を確認する癖をつけました。

 

 加えて、条文を読む時には、この条文が適用されるための法律要件は何と何か、適用される場合の法律効果は何か、そして適用が想定されている具体的な場面はどういうものか、3点を強く意識して条文を読むようにしました。

 

 そのような勉強を始めてからしばらくたち、ようやく自分が法律や条文というものが、どういうものかを理解できるようになったと実感しました。

 学者の書いている基本書はいわば条文を理解するための解説本であり、予備校本は難解な基本書をわかりやすくまとめた解説本のようなものにすぎません。それを踏まえた教材ごとの適切な使い方ができるようになりました。

 

 そして、理解できたことは、法学というものは、決して文章を読解・論述する感覚やセンスで解くような国語的なものではないということです。

 確かに、法学部は文系であり、条文や法律文書も文章ですので、一見国語的な勉強が必要かのように思います。

 しかし、実は、法学とは、条文という理論的根拠を拠り所とした極めて論理的・数学的なものだったのです。

 

 このような感覚を持ち、「法律要件は何か、法律効果は何か」という意識で条文の文言にこだわりながら読みつつ、そして、基本書等でその条文の適用場面の理解を深める勉強をすれば、必ず司法試験には合格できると確信しています。

 

 反対にこのような勉強方法ができていなければ、いくら勉強時間を増やして、論証を暗記しても、合格に近付くことはありません。

 

 今、法律を勉強し、司法試験を目指している方々が、もしこのブログを読んで「そんなの当たり前じゃないか。」と思ったなら、全く心配いりません。これより以下は特に読む必要もないでしょう。

 

 逆に、もしピンとこないのであれば、これまでの勉強を少し見直した方がいいかもしれません。一度立ち止まって自分を見つめなおしてください。ぜひ、加筆した以下の部分も一読ください。

 


2 法律の「正しい」適用と法解釈

(2020/5/24加筆)

 このような法学の学び方を踏まえ、少し具体的な説明をします。

 

 条文には、(法律要件)と(法律効果)が書かれています。

 

 つまり、条文というのは数学でいう公式のようなものです。

 

 条文に書いている(法律要件)+ 解釈上必要と考えられる(法律要件)

があり、それらをすべて満たした時に、(法律効果)というものが発生しません。

 この(法律効果)というものは、法律が与えたものであり、必ずしも目には見えません。このような法律要件と法律効果を理解することが大切です。

 

 例えば、条文の中でもわかりやすい刑法199条で見てみましょう。

(殺人)

199条「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」

 と記載されています。

 

 

 これを単なる国語的な文章、ルールの1つとして読み、「人を殺したら死刑になるんだ!」と理解することも間違いではありません。一般的にはこれで十分です。

 しかし、それでは法律を理解し、適用することはできません。

 

 この条文を法律要件と法律効果で分けると、

 法律要件としては、

①客体が「人」であること+②人を「殺した」こと、が必要となります。

 法律効果としては、

被告人は、死刑、無期、5年以上の懲役に処せられる地位に立たされることとなるわけです。

 

 ただ、実際にこの法律要件を満たすかを検討する際に、「人」に当たるかどうか微妙なことがあります。

 このような場合に「人」という文言の解釈が必要になります。言葉の意味は厳密に1つとは限らず、一定の範囲を持ちます。

 場合によっては法律要件それぞれが解釈の幅を持ち、ともに満たす場面こそ条文の適用範囲となっていきます。

 

 上の図で言えば、○の内側が「人」に含まれ、①の法律要件を満たすことになり、①の外は「人」に含まれず、条文も適用されないこととなります。この○の線を引く作業こそ文言解釈であり、その線の位置こと規範というものです。

 当然に「人」に含まれるAは13歳の少年、40歳のおじさん、83歳のおじいちゃん…です。

 これに対して、円の際、Bは胎児です。胎児はいつから「人」になるのか、殺人罪の客体として保護されるのかが問題となるわけです。

 同じく、反対側の円の際、Cは例えば脳死状態の場合です。脳が死んだら「人」でなくなるのか、心臓が止まったら「人」でなくなるのか、その基準を明確にしなければいけません。ただ、ここでいう「人」はあくまでも刑法199条の「人」の意味合いでしかなく、生物学的な人とはイコールではありません。

 

 明らかに「人」に含まれないDとは何でしょうか。

 例えば、動物のペットやロボット、人工知能です。では、ここで「動物といっても、ペットは家族と同じで命もあるのだから、もし命を奪われたら殺人罪に問うべきだ!」という意見があったとしましょう。確かに、ペットも「人」の○の中に含める必要性はあるかもしれません。しかし、この中に含めるには、やはり無理があるでしょう。

 条文には「人」と書かれており、立法者もあえて「人」という言葉を選んでいるわけです。ペットをここに含めて考えることは解釈論の限界を超えています。これは法律解釈ではなく、必要性(立法事実)のみを指摘した立法論に過ぎないわけです。

 法解釈と言えるには、むしろ、Dが○の中に含まれる正当性、つまり法解釈としての許容性の指摘が不可欠です。

 その許容性の代表が文言です。「条文の文言が××となっている」という指摘はとても大切です。

 

 これこそが、法律の適用のために必要な、立法論とは一線を画する「正しい」法律解釈です。


3 法律を理解するための「原則」と「例外」

(7月1日加筆) 

 そもそも法律というのは、基本的に利害調整の1つの結果として、人為的につくられるものです。

 

 まず前提として、法律の上位にたつ憲法があります。

憲法は、国民の権利義務を決めるほかの法律とは一線を画し、国民が国家権力を縛るために存在するものです。

 

 これに対し、法律は国民から選挙によって選ばれたという意味において正当性をもつ国会議員が構成する国会によって作られるものです。選挙という権力の正当性があるがゆえに、そこで作られたルールに国民が拘束されます。

 ただし、国家権力は憲法に縛られますので、憲法に反する立法作用は許されず、反する法律は作れません。憲法に反するかどうかを判断するのが司法です。

 

 それぞれの法律は、そのテーマごとに、さまざまな利害が調整された1つの結果なのです。

 

 わかりやすいところでいえば、

民法は個人や会社などの関係について、場面ごとに調整したルールです。

 ただ、これはあくまで対等な立場にあることを前提にしたルールです。対等でないことが明確な場合には、別の法律をつくって適用させます。例えば、住居について基本的に強者の立場にある貸主と弱者の立場にある借主であれば、それを前提に調整した借地借家法が適用されます。また、強者の立場にある事業者と弱者の立場にある消費者であれば、それを前提に調整した消費者契約法が適用されます。

 

 また、会社法は、株式会社でいえば、法人としての会社、会社の所有者たる株主、会社から委任を受けてる役員、会社の取引先(債権者)の関係を調整しています。

 刑法は、観点は違うものの、刑罰権をもつ国家と加害者、被害者を含むそのほかの人々の関係を調整してると見ることもできます。

 両訴訟法は、民法や刑法の調整結果を国のお墨付きを与えて反映させるために、必要な双方の手続き保障と真実発見の要請を調整したものと言えます。

 

 このような観点で、基本となる事例を想定し、それを解決する一般的なルールをあらかじめ定めてるわけです。

 ただ、それで一律に解決することが必ずしも妥当しないことが想定される場合には、イレギュラーな場面も想定し、あらかじめ例外的な規定も設けられます。

 

 このような仕組みであり、法律にはほぼ必ず、原則と例外があります!

(なお、ごくたまに検閲の禁止のように絶対的禁止はあります。このような場面は限られますので、覚えていきましょう)

 

 実は、ここからが本論なのですが、

では、原則と例外では、果たしてどちらが大事でしょうか?!

 

 普段法律を勉強してると、明らかに例外について学ぶ時間が長くなります。

条文自体も原則論については条文はあっさりしてるもので、下手をすれば明文がないことすらあります。

 そのため、基本書であろうと予備校本であろうと、例外の説明の方が原則論よりも文量がはるかに長くなりがちです。

論点というものは、そもそも当該条文や理論の限界事例が問題となるケースであり、それも例外的な事例とも言えます。

 

 その結果、例外を重点的に、時に例外ばかり勉強することになってしまいます。これ自体はやむをえない部分があります。

ただ、その結果、あたかも例外が原則であるかのような、例外こそ基本であるかのような、錯覚がすり込まれていきます。

 

 これは法律全般がわからなくなる大きな原因になりえるところです。意識的に注意しましょう。

 

 例えば、

民法総則の意思表示を考えてみましょう。

勉強していると、どうしても頭は錯誤95条だの虚偽表示94条だのに、引っ張られていきます。

 しかし、原則として有効な意思表示の仕組みを知らない、例外的に無効になる場面など理解できるはずがありません。

意思表示の定義や仕組みは、条文にははっきり書いてませんので、概念として理解し、覚えておかなければいけません。

実務的に考えても、当たりまですが、無効の意思表示より、有効な意思表示の方が多いのです。

 

 他にも、例えば債権者代位権423条や詐害行為取消権424条などは、その存在意義や適用場面自体が極めて例外的です。

これらはそもそもの前提として、原則としてどうなるかという場面を理解しない限り、わからないところなのです。

 

 このように、まずは原則をしっかりと理解できなければ、例外はわかるわけがありません。

 そして、問題となる議論の出発点は、常に原則論からなのです。

 

 ここを間違えると法律はなかなか入ってきませんので、意識しながら、勉強を進めましょう。

 

 常に原則を基本として丁寧に理解し、今学んでいることが原則なのか、例外なのか、意識しながら学びましょう。


 このような法学の「正しい」勉強を意識した上で、インプットを進めていけば、次に必要なことはアウトプットです。

 

 アウトプットによって作るべき法律文書というのも、また同様に、作文や小論文とは似て非なるものです。

 いわゆる「法的三段論法」を死守しなければならない法律文書(答案)作成の作法に関しては、別の投稿を書き、レジュメをアップしておりますので、コチラをクリックしてご確認ください。

何でも相談できるパートナーに!

 いまだに弁護士というと、個人の方はもちろん事業者の方々にも敷居が高く思われがちです。

 せっかく顧問弁護士がいても、「顧問弁護士には相談しにくい」という声すらよく聞きます。

 いい意味で、「弁護士らしくない弁護士」でありたいと思っています。

 今更ながら、このような場で広く発信し、誰かの力になれる『ご縁』が生まれることを願い、このようなホームページを作りました。

 

 あなたが今悩んでること、困ってること、ぜひ教えてください。

H13.3 清風高等学校卒業

H18.3 京都大学法学部卒業

H20.3 同志社大学法科大学院卒業

H21.12〜 六甲法律事務所

R2.4〜弁理士登録

兵庫県弁護士会法教育委員会、同子どもの権利委員会副委員長、同修習委員会副委員長

同志社大学法科大学院アラムナイ・アソシエーション寒梅会会長

関西学院大学非常勤講師、京都大学法科大学院非常勤講師

兵庫県児童虐待対応専門アドバイザー、神戸市いじめ問題対策審議会委員

 弁護士/弁理士 松 田 昌 明

(兵庫県弁護士会所属)    

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